面足尊(おもだるのみこと)
惶根尊(かしこねのみこと)
永禄四年(1561年)八月
胡録神社は、永禄四年八月川中島合戦の折、上杉の家臣高田嘉左衛門(たかだかさえもん)なる者戦に敗れ、
計らずも集いたる十二名の同志と、関東に厄難を逃れて落ちのび、当地の汐入に高田、竹内、杉本等数名と永住の地と定めて土着し、
村落生活の安寧を祈願するため、守護神として永禄四年九月十九日、面足尊・惶根尊の両神を一祠に奉齋崇敬されたと伝えられます。
当社は古くは大六天と称したが明治二年太政官達により、神仏分離がされた際、往時武士が矢を支える武具を胡録と申した事と、
また、当地汐入の生業として盛んであった胡粉作りの胡の字と大六天の六にあやかり、御社号を胡録神社と改称されました。
神殿は嘉永五年九月十九日改築造営されたものです。
汐入の辺りはその昔、蛎殻を石臼にかけ胡粉という人形の上塗りの塗料を造り出荷する生業が盛んであったが、境内には古き石臼が奉納されています。
八代目嘉左衛門の頃には、汐入大根の栽培地と変革し人気の高い作物であったが、今はその畑もなく、昭和末頃から汐入地区の再開発計画が進められ、
平成の初期には見られた木造建築の旧家も取り壊され、多くの地主は、高層住宅へとその生活を移されました。
当社もその限りにあらず、平成十年の計画により、境内地を前方に遷座する事となりました。
平成十五年九月十九日には遷座を終え、竣工奉告祭が執り行われました。
往古は旅行安全の神様として、汐入の村落の出入り口に
祀られていたが、現在では胡録神社の境内に移され祀られています。
道祖神は、猿田彦命を祀り、人々はこの汐入の村より出るには、
航路の安全を願い、入るには無事を感謝し、常に安全を守護する神様
として尊崇し、祈願の折は草履を奉納して参拝をします。
神代の昔、天孫降臨の折り、道案内を務めた神様という故事により、
旅の安全、足の病気平癒の神様として崇められています。
なお、近年では道の神様でもあるという事で、交通の安全を祈願する
人々にも崇拝されています。
また、境の地点は市が多く開かれ、男女交歓の場であったことから、
縁結び、子授け、子守りの神様として崇めらています。
刀塚は、永禄四年八月、川中島の合戦で敗れた上杉謙信が家臣
高田嘉左衛門らが落人となり、刀と鎧兜を地中深く埋め、
葦が群生する汐入の地を開拓しました。
後に汐入の開拓を後世に伝えるため、昭和三十四年九月、
町の有志が集まり、埋地と伝承される南千住8丁目1の40番地付近に
刀塚として祀りました。平成からの汐入地区再開発で、
平成十二年四月、胡録神社が遷移され、同時に刀塚も境内に遷され、
祀られています。